大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和47年(ヨ)234号 決定

申請人 清水公次

右訴訟代理人弁護士 金川琢郎

同 中元視暉輔

同 古家野泰也

被申請人 株式会社新学社教友館

右代表者代表取締役 奥西保

右訴訟代理人弁護士 猪野愈

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

理由

一、本件申請の趣旨は、「被申請人は申請人を被申請人会社本社編集部に勤務する従業員として取扱え。申請費用は被申請人の負担とする。」旨の仮処分決定を求めるというにあり、その理由は、「申請人は京都大学工業教員養成所電気工学科を卒業し、昭和四三年三月小中学生用の学習参考書の出版を主たる業務とし、従業員約三二〇名を擁する被申請人会社に雇傭されて本社編集部に配属され、以後数学の参考書、教材等の編集の業務に従事してきたところ、被申請人は昭和四七年三月二八日申請人に対し、口頭をもって同月三〇日付でかつての被申請人の販売部門を分離独立させて設立され、被申請人が出版する図書類の取次販売を主たる業務内容とする申請外新学社教友館販売株式会社(以下販売会社という。)第二販売部に勤務することを命じたが、右命令は以下に述べるとおりの理由によって無効である。即ち申請人は、被申請人会社に入社するための面接を受けた際、編集部で数学部門を担当したいと希望したところ、会社もこれを了承し、その結果申請人は入社以来本社編集部に属し、数学部門の図書の編集業務に従事してきたが、このことからすれば、申請人と被申請人との間では、入社に際し申請人が編集部に属して労務を提供することの合意があったものというべきであるから、申請人の同意なく、かつまた就業規則や労働協約等による根拠もなく、申請人を別個の法人であり、その職務の内容、勤務場所及び労働時間等の労働条件が著しく異なる販売会社に勤務させる(販売会社における図書の販売方法は全国各地の特約店を通じて学校に納入する方式であるため、その従業員は月の半数以上各地の特約店を廻らなければならない)との命令(いわゆる出向命令)は、その効力を生ずる由ないものである。しかしながら申請人が右命令に従わないとすれば、これを理由に被申請人からただちに解雇される危険性があるので、申請人は被申請人に対し右命令の効力を裁判で争う旨通知するとともに、やむなく暫定的に販売会社に勤務することとし、爾来同会社において、従前とは異なる労働条件のもとで義務のない販売業務に従事しているが、右命令が無効であることを前提とする本案訴訟の結果を待っていては回復できない程の重大な不利益を蒙ることになるので本件申請に及んだ」というのである。

二、右に対する被申請人の答弁の趣旨は、主文と同旨であり、答弁理由の要旨は「申請人の申請理由中、被請人会社の概況(但し従業員数は約三〇〇名)、販売会社の設立経緯、業務内容、申請人の被申請人会社への入社、社内における配置、従事事務に関する事実及び申請人に対し本件命令を発した(但し昭和四七年三月二八日口頭で「三月三一日付で販売部に配置転換をする」旨通告し、同月三〇日に「三月三一日付で第二販売部勤務を命ずる」旨公示した)ことはいずれもこれを認める。しかしながら、被申請人会社は申請人を従業員として採用するにあたり、その職種、配置について特に指定したこともなく、ましてや編集部に属して労務を提供することを合意の内容として労働契約を締結した事実はないから、企業の秩序維持と人的設備の適正配置の観点から人事権の範囲で申請人の配置転換(本件命令は実質上配置転換であって出向ではない)を行ない得るのであるが、申請人は昭和四六年夏頃から目立って勤務がルーズとなり、初歩的ミスを続出させ、更に無断欠勤を重ねる等の事実があったうえ、昭和四七年三月中旬には、申請人の属する編集部有志一一名から、申請人がチームの和を乱し、ルールを無視する行動に出て協調性を欠くため、同人の配置換を要求するとの趣旨の嘆願書が被申請人に提出されたので、被申請人は申請人を編集部から転属させるほかはないと考え、種々考慮の末、同人を販売会社販売部に配置換した次第である。しかして販売会社と被申請人会社は法人格こそ違え、前者の本社は後者と同一社屋内におかれ、前者の代表取締役その他の役員には、いずれも後者の役職員が就任し、前者の従業員はすべて後者によって採用された者をもってこれに充て、後者の就業規則、賃金規則、退職金規程その他労働条件に関する諸規定は、すべて前者に適用実施され(従って前者独自の諸規定は存在しない)、健康保険、厚生年金の基礎届、労災保険の確定申告、退職年金契約も、前者、後者の各従業員を問わずすべて後者の従業員として取扱われ、給与内容計算、支給はすべて同一基準によってなされるのみならず、勤続年数は勿論相互に通算され、社員の福祉も平等単一に実施され、かつ両者の間には、たえず人事交流があるのであるから、実質的にみれば右両者は単一企業体にも等しいのである。従って申請人主張の本件命令はあく迄配置換とみるべきであって、出向と目すべきではなく、また右配置換は前段記載の如き理由によるものであって何ら非難される点はない。従って右が出向命令であること及び労働契約を締結するあたり申請人が編集部に属して労務を提供する合意があったことを前提とする申請人の本件申立は、被保全権利を欠くものである。また仮りに本件命令が出向命令であると解すべきだとしても、被申請人会社は、販売会社の創設以来、たえず両者の間の人事交流をはかってきたのであるから、両者の間には、人事交流についての慣行が確立していたものと云うべきであり、単に出向を義務づける就業規則、労働協約等が存在しないとの一事によって出向命令が無効となるものではない。よっていずれにせよ申請人には被保全権利を欠く。

また申請人は、現に条件付とはいえ、本件配置換を承諾して販売会社に勤務しており、その経済的対価は従前と同一であるにとどまらず、むしろ各地の販売特約店に出張するための旅費日当等の残余分だけ経済的には有利となっているのであり、前記の如くその他の労働条件に関する諸規程の適用においても従前となんら異なるところがないから、本件命令に従うことによって申請人に損害が発生するいわれはなく、従ってまた仮処分によって申請人の地位を保全する必要性もない。よって本件仮処分申請はいずれの点からするも却下を免れない。」というのである。

三、右の事実関係に基づき、当裁判所はまず仮処分の必要性の点について判断を加える。

申請人は、昭和四三年三月被申請人会社に入社して以来本件命令が発せられるまで、入社の際希望した同社の本社編集部に勤務し、小中学生用の参考書及び教材等の編集、校正の業務に従事していたが、昭和四七年三月二八日に、同三一日付をもって販売会社に勤務を命ずる旨の本件命令が発せられて以後販売会社に勤務し、第二販売部に配属されて現在にいたっていること、販売会社は、もと被申請人会社の営業部を分離して会社としての法人格を付与することによって設立されたもので、首脳陣は被申請人会社のそれとほぼ等しく、法人格こそ異なるが、人事面、経営面で、被申請人会社と密接な関係を有し、具体的には被申請人会社において出版する図書類を、全国各地に散在する特約店を通じて学校に納入販売することを主たる業務とするものであり、そのため販売部所属の部員は、広く特定の地域に存在する特約店に足を運んで宣伝並びに受注を行なう必要があるのであるが、申請人が所属する第二販売部は、主として本州、四国地区を担当するものとされており、現に申請人は、同年四月中旬から下旬にかけて和歌山、兵庫、愛媛の各県下に、それぞれ数日にわたって出張し、特約店及びその出入りの学校を訪ねていること、以上の事実はいずれも一件記録上明らかである。

ところで本件において申請人は、販売会社における職務の内容、勤務場所及び労働時間等の労働条件が、被申請人会社の編集部におけるそれとは著しく異なるので、申請人が販売会社においてこのまま勤務を続けるとするならば、回復することのできない重大な不利益を蒙るにいたるから、仮処分の必要性があると主張する。しかして申請人が右にいう重大な不利益とは、具体的に何を指称するのか定かではないけれども、申請人にとっては、労務を提供する相手方が被申請人会社から販売会社に変ったばかりでなく、先に認定した教科書類の編集と、その出張販売は、前者が頭脳的要素を主軸とする企画的業務であるのに対し、後者が取引的要素を主軸とする開拓的業務である点において両者その性質、内容を異にし、それにともなって必然的に労働条件を異にすることは否定し難いから、自ら希望した被申請人会社社屋内における編集のみの経験を有するにすぎない申請人にとって、販売会社における広汎な地域に及ぶ出張販売の業務にたづさわることには、精神的、肉体的な苦痛をともなうであろうことは推認するに難くない。しかしながら先に認定した被申請人会社と販売会社との設立及び人事、経営面における有機的関連に関する事実を考慮すれば、勤務先が変更したこと自体によって申請人が回復し難い不利益を受けたと認めることはできず、また本件記録を精査検討しても、申請人のいわゆる精神的、肉体的苦痛が、編集から販売業務への転属によって生ずる労働条件ないしは労働環境の変化に、一般的、必然的にともなう範囲(この範囲内にあるものは、なにびとといえども転属によってその負担を余儀なくされる)を超える現状にあると認めることはできないし、また現在の出張販売の職務内容が、申請人に対し、その経歴、経験からみて被傭者としての立場を無視し、または無視するにひとしい結果をもたらすものと認めることもできないうえ、職務内容の変更によって申請人の個人的生活が侵犯された(たとえば妻子、老父母との別居等)ものとも認められないから、申請人に生ずる精神的、肉体的苦痛はこれをもって現に仮処分をしておかなければ将来回復しがたい程に重大な不利益と認めることはできない。

次に本件記録中の疎明資料によれば、被申請人会社の就業規則、賃金規則、退職金規程その他労働条件に関する諸規程は、すべて販売会社及びその従業員に適用実施され、退職金及び退職年金支給の基礎となる勤続年数は相互通算され、また各種の社会保険に関する事項、更には親睦会等の福利厚生の点においても、販売会社の従業員は、被申請人会社の従業員として取扱われていること及び現に申請人も販売会社において右の取扱に準拠して処遇されていることが認められるから、経済的並びに福利厚生的側面からみても、また申請人が回復し難い重大な不利益を受けているものと認めることはできない。

四、以上の次第で申請人については、同人が精神的、肉体的、経済的、福利的立場のいずれからするも、回復し難い不利益を受けているものとは認められないから、結局においてその主張の仮処分決定を発する必要性があるものということはできない。よって被保全権利の存否についての判断を省略し、本件仮処分申請を却下することとし、申請費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 林義雄 裁判官 右田堯雄 羽渕清司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例